適切な満足とは [ 理想のわたし・ダメなわたし]
東日本大震災の発生から1年目の今日、どのTV局も震災の特集です。
つらい映像も多いのですが、やはりちゃんと見て、ちゃんと考えなければ。
このような大きな災害は、自分の生き方を考えさせられます。
「いつ自分の命が断ち切られるかわからないから、1日1日を大切に生きよう」というのは多くの人が感じることではないでしょうか。
懸命に生活を立て直そうとされている被害を受けた方たちを見ると、「自分は懸命に生きているだろうか」と反省させられます。
被害を受けた方たちの心の傷はなかなか癒えないでしょうが、せめて生活の復旧が早くなされることを願わずにはいられません。
そして、この大きな災害には、やはり天災と人災が混ざっていると感じます。
地震と津波は天災の部分がほとんどでしょうが、情報伝達など対策をきちんとしていれば被害をもっと少なくできただろうと感じます。
一方で、原発事故はもう100%人災と感じます。
さらに、首都圏を中心とする都会は震災発生前には自分たちに必要な電力を得るため原発のリスクを東北に押し付けて現実を見ないという愚かな行為をしていただけでなく、震災発生後はその結果を東北に押し付け切り捨てるような行為をしているのではないでしょうか。都会は2度も東北をおとしめている気がします。東北の方たちには、本当にごめんなさいと言うしかありません。
そして、今日の新聞で臨済宗妙心寺派が「原子力発電に依存しない社会の実現」を宣言していることを知りました。(→★)
その中の文
私たち仏教徒は、利便性や経済性のみを追求せず、仏教で説く「知足(足るを知る)」を実践し、持続可能な共生社会を作るために努力することをここに決意し、宣言します。
には、考えされられるものがあります。都会の「足るを知らない、限りない欲望にまみれた」生活は、もうこれ以上続けられないものなのだと。これからは「進歩、発展、変革、向上心」と「足るを知る」の折り合いをつけていかなければならないのだと。
「適切な」欲望、「適切な」満足。これはなかなか難しい問題です。
昔、京都の龍安寺で買った「吾唯足知(われただたることをしる)」の蹲踞(つくばい)を模した栓抜きのお土産。
(中央の水穴にあたる部分が口を表し、上下左右の文字の一部になっているものです。漢字ならではのデザインですね。)
これを出してきて、毎日眺めて考えようと思います。
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