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嫌われ者 [  秋葉原・浅草橋・両国]

今日は友達のうちに行った後、2人で両国の「吉良祭」に行って来ました。

吉良とは、忠臣蔵の赤穂浪士の敵、吉良上野介のこと。
吉良上野介と討ち入りで亡くなった20名あまりの上野介家臣たちの供養祭だそうです。
吉良邸は今の両国にあったので、12月第2土と日に吉良祭をやっているそうな。

吉良邸の一部が本所松坂町公園となっていて、そこが会場。
公園での吉良祭と同時に、周辺で「元禄市」というのもやっているそう。

公園に近づくと、和太鼓の演奏が行われていました。
更に進むと、狭い道路の両側に食料や服や雑貨の露店が。
まるっきり、町の祭り?

人ごみを掻き分けついた先が、吉良邸跡。
吉良邸跡.jpg

中に入ってみると

公園内部.JPG

せま!
忠臣蔵では邸内で吉良を探し回るくらいだから、吉良邸は広かったはず。
一戸建ての家1軒分もないくらいの広さ。
公園になったのはほんの一部らしい。

上野介の像、討ち入りで死んだ吉良家家臣二十士碑がありました。
赤穂浪士が上野介の首を洗った「首洗い井戸」もあったそうだけど、見損ねました。
特に吉良家のために何かが行われている感じもなく(既に終わっていた?)、拍子抜け。

吉良祭・元禄市と書かれていたけれど、
吉良祭元禄市という感じですね。

公園の前は、大石内蔵助と上野介の格好をした人がいました。
内蔵助は記念写真の相手として引っ張りだこでしたが、上野介は人気がない。
ひとりぽつんとしていました。
吉良さん.jpg

やはり、 忠臣蔵の影響は大きい。
吉良祭なのにね[あせあせ(飛び散る汗)]

しかし、本当に上野介が悪者だったのかしらん?
上野介は地元愛知県吉良町では名君として有名らしいし。
いきなり切りつける浅野の殿様も思慮不足そうだし。

上野介がおとがめなしとなった時、「喧嘩両成敗」と主張した世間が、
討ち入り後は圧倒的に赤穂浪士の肩を持つのは、バランスを欠いているような。
いつの世も、世間の声とは無責任なものかもしれません。

ところで、両国では12/14に義士祭も行うようです。
 (義士祭は泉岳寺のものが有名ですが、それとは関係ないよう。)
まさに喧嘩両成敗?平等な配慮?それとも単なる話題狙い?


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タグ:吉良祭


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