イライラ [ 理想のわたし・ダメなわたし]
先日電車に乗っていると、ベビーカーに小さな子供を乗せた母親が乗ってきました。
たぶん1歳くらいの子供は機嫌が悪く、ギャーギャー叫んでいました。
ふと思い出すのは、私がめちゃくちゃ忙しかった頃。
こういう場面に出くわすと「ちゃんとしつけて欲しいなぁ」と思ったものです。
電車内は貴重な息抜きの時間なので、それを邪魔されてムカッとしていました。
怒りっぽい性格の私は、「怒らないようにする」ための本をたくさん読みました。
それらの本で言われていることはほとんど同じで、
- 怒りっぽい人は相手が悪いと言うが、それは自分の立場でしか考えられないから。
- 事態をよくしたいと主張するが、現実は自分の考えをごり押ししたいだけ。
- 色々な人がいることを受け入れられないから怒る。
- 怒ることと、自分の正当な権利を主張することは、全く違う。
- 『問題』があるから怒るのではない。怒る人だから怒るのだ。
(同じ場面で怒る人と怒らない人がいることで、そのことは明らか)
そう、あの時は忙しくて自分に余裕がなかったからイライラしたんだ。
イライラの原因は相手じゃなく、自分だったわけ。
しかし、今は「お母さん、居心地悪いだろうなぁ」くらいしか思わない。
この年齢の子供は言っても分からないから、しつけの問題ではないですよね。
子供の泣き声でムカッとしなくなったのは、えらい進歩だわ
(基準が低すぎ?)
私の次の課題は、相手の立場を考えてもやはり相手が理不尽だと思うとき。
どう考えても相手が悪いと思うと、フツフツと怒りがぶり返してきてしまう。
こうなると「思い知らせるべき」という戦闘意欲が出てきてしまって
昨日もそのようなことがあって、昨晩は自分の寝言の声で起きてしまいました
夢の中でも大きな声で議論(口論?)しているなんて、まだまだ修行が足りません。
怒らずに自分の権利をきちんと主張したい。
執着しすぎるのがよくないと分かってはいるんですが…
渇! [ 理想のわたし・ダメなわたし]
昨晩降った雪は、大人にとっては迷惑なもの。
朝は道路がぐちゃぐちゃで足が濡れちゃうし、夜は凍結が心配。
が、子供にとっては全然違うんですねぇ。
近くの3歳くらいの子供は、(記憶力がついて?)初めての雪らしく、大はしゃぎ。
初めてのものにはしゃぐなんて、私はもうほとんどないかも。
最近では、初めてのものに対して警戒心の塊になってしまう。
経験していないことに、ものすごく抵抗感がある。
楽しいかもと期待するより先に、大変かもと心配してしまう。
まぁ、子供に警戒心がないのは想像力がないせいもあるだろうけれど。
マイナスを想像できずに失敗するのも、マイナスを想像して臆病になるのも駄目。
大人はマイナスをきちんと想像してそれを乗り越える気概を持たないと。
最近、何もしない方に流れている自分に「渇!」だわ。
自分は悪くない? [ 理想のわたし・ダメなわたし]
昨日、久しぶりに図書館に行った時のこと。
カウンターのそばで、5・60代のおじさまが何やら猛抗議中。
聞くつもりはなくても、大きな声なので聞こえてくる。
以前カウンターである本の貸し出し予約をしてもらったはずなのに登録されていないとか。
その間に他の人の予約がたくさん入って、貸し出しが半年以上先になるかもしれないとか。
「どうしてくれるんだ!どうにかしてくれ!」と、ねじ込んでいるのです。
私が図書館に着く前から抗議をはじめ、私が図書館を出た20分後もまだ抗議していました。
こういう光景に出会うと、わが身を振り返ってしまいます。
私もどちらかと言うと気が短い方ですから
確かに、読みたいと思っていた本がかなり先にしか読めないというのは残念です。
しかし、おじさまが「職員が失敗した」と決め付ける態度もどうかと。
コミュニケーションミスなら、おじさんにも責任があった可能性だってあるわけだし。
前に対応した職員が今日はいないみたい。
何も分かっていない時点で「自分は全く悪くない」と主張する根拠が分からない。
しかも、20分もの貴重な時間を、何も生み出さない抗議に費やしている。
おじさまが予約を依頼したという証拠が何もないんですから。
あきらめるときはあきらめないと。
それより、今回のケースでどういう改善があったら自分が予約ミスにもっと早く気がついたかを考えて提案するほうがよっぽどいいと思うんだけれど。
あるいは、予約は図書館内利用者用端末やウェブ・携帯サイトでもできるので、その操作方法を覚えるとか。
おじさま、自分の時間をもっと大切にした方がいいよ。
と他人のことなら良くわかるのですが、自分のこととなると、ね
私も、このような何も生み出さない行動をやりがちかも。
「自分は悪くない。相手がおかしい」
こういった考え方は『思考停止』を引き起こし、物事が前に進まなくなる。
気をつけないと。
こういう人生 [ 理想のわたし・ダメなわたし]
腰痛を改善するため、いつもより遠くに散歩に行きました。
そこで出会ったのが、少年野球チームの集団。
メンバーとコーチらしき人たち、そして周りにはお母さんと思われる女性陣。
そのお母さんたち、どういうわけか格好がみな良く似ている。
ほとんどの人が、ダウンコートにムートンブーツ。
確かに寒空の下では、これが一番温かいのかも。
しかし、みんながみんなグレー色なのはなぜかしら?
コートとブーツはベーシックな色がいいのは分かるけれど、黒も茶もキャメルもない。
まるでユニフォームのようにグレー一色。
不思議だわ~。
派閥とかあるのかしらん。
みんなと違う色を着るのがはばかられる感じだったりして。
と、想像するのは自分の会社経験から連想できる範囲ばかり。
全く違う世界があるとしても、想像できませんわ
しかし、お母さんたちは全然楽しそうじゃないね。
そりゃ子育ては意義深いものだろうけれど、いつもいつも楽しくはないんだろうね。
楽しいばかりじゃないなんて、仕事と同じだわ。
とうとう私が到達することがなかった「お母さん」たちの世界。
子育ては自分も成長すると言われるけれど、まぁそれだけが成長する手段ではないはず。
他の方法で成長できれば良い訳だし。
ああいう人生もいいけれど、こういう人生もありかな。と、言い切るためには、もう少し頑張らないとね
斜め上をいく [ 理想のわたし・ダメなわたし]
洗濯したものを洗濯槽から取り出していると、見たこともない丸いプラスチックが入っていました。
洗濯槽のパーツが外れたと思い、頭を突っ込んで確認したけれどそれらしいところがない。
あきらめて洗濯物を干した後、もう一度確認したけれどわからない。
なんだろうなぁ~このプラスチックと思いながら、洗濯槽から頭を出して洗濯機を見てみると
ど真ん中を見落としていた
中学校の先生に
「お前は、他の誰ひとりわからなかった問題に正解し、
他の誰ひとり間違えなかった問題を間違える。
バランスが悪いんだよな」
と言われたことがあります。
小・中学校の先生の言葉って、思い出してみると性格の本質的なところを突いているんですよね。
この「バランスの悪さ」は、中学校からずっと変わっていないわ。
友達によく言われるのが、「斜め上をいくねぇ~」
私としては「上をいく」つもりなのに、どうも何かがズレているらしい
どうやったら、このズレをなくしバランスのよい人間になれるのか?
先生がそれも教えてくれればよかったのに
美へのこだわり方 [ 理想のわたし・ダメなわたし]
今日の新聞に、10代の女の子が細いヒールの靴を履くようになったとの記事がありました。
しかし、足の骨格が固まる15歳ごろ前にヒール靴を履き続けると、足が変形する危険性があるそうな。
9歳の子どもにヒールつきのブーツをせがまれたスタイリストの大草直子さんは
危険が迫った時に、ヒール靴では走って逃げられない
子ども時代は人生において、宝石みたいに貴重で短い時。早く大人になるなんてもったいない。
子どもは「子どもらしく」が一番可愛い。
と言って子どもを納得させたそう。
私は子どもと接する機会が少ないのでヒール靴までは気が付きませんでしたが、
お化粧している10代を見ると、「綺麗な肌をお化粧で隠すなんてもったいない」と思います。
ところで、昨今のアラフォー女性の憧れ「美魔女」。
私も同じ年代として、その意志と努力のすごさがわかるので感服します。
しかし、TV番組で強いスポットライトが当たっているのを見ると、
制作者サイドの考えを邪推して、あまりいい気分がしません。
根底にあるのは、20代女性の若さとキラキラがベスト、というたった1つの基準。
要するに、自然なライトではその基準に達しないということでしょう?
40代には見えないけれど、20代にも見えない。
20代の友達は、美魔女だって「20代じゃないのははっきり分かる」と言っています。
大草さんの後ろの2つの言葉を一般化すると、
その年代でしか味わえないことを楽しまないなんてもったいない。
年代にふさわしい美というものがある。
ということかしら。
10代の女の子を見ると、この言葉の正しさがすごく納得できるのに、
いざ自分のこととなると考えが混乱する。
アラフォーの美に関する精神年齢は10代と変わらないのかも。
土曜日の誘惑 [ 理想のわたし・ダメなわたし]
土曜日の朝刊には、どっさりチラシが入っています。
大概のチラシは1秒でスルーするのに、毎週手が止まってしまうのがユニクロのチラシ。
機能性インナーは数多く持っているから、ヒートテックは要らない。
静電気を貯めやすい体質なので、フリースも避けたい。
セーター類もじゅうぶん持っている。
なので見る必要がまったくないのですが、「土日限定」という文字につられる
10分くらいかけて、隅から隅までじっくり見てしまう。
巻きスカート暖かいかな?
ライトフリースならモコモコしなくていいかな?
と、次第に買いに行こうかなモードに。
土曜日は出かける日なので、着替えのためクローゼットを開けたら現実に戻り
「着ていない服がこんなにあるので、やめておこう」
となりますが。
こうやって、出かける前の朝の貴重な時間を毎週毎週つぶしてしまいます。
「限定」で「お得」。
女性が弱い文字が2つも並んでいるんだもの。
しかも土日は必ず安くなるとインプットされて、習慣性になってしまう。
心情的には、いつでも安い西友(ウォルマート)の戦略のほうが好きなんだけれど。
西友は苦戦、ユニクロは善戦ということは、日本人はつられやすいってことかしら?
まんまとユニクロの戦略にのりそうな自分が情けない
成長と停滞 [ 理想のわたし・ダメなわたし]
先週末、私より年上の友達の家を私より年下の友達と訪問しました。
3人は昔、同じ会社の同じ部署にいた仲。
今その会社にいるのは一番若い彼女だけですが。
年上の友達のお宅に行った目的は、部屋の片付けプレッシャーを与えるため。
家の主は片づけが苦手なんです。
(もう5年以上前から片付いたことなし)
2LDKのお家に一人で住みながら、2部屋は物置同然になっている。
しかもLDKには未整理のものがばさっと置いてあるし。
そうなる主な原因は、忙しすぎるからなんですが。
若い彼女が
「取り敢えず使わないものは1つの部屋に集めて、まずは落ち着いた1LDKにしてみては?」
と提案。
が、家の主は
「駄目!目に見えるようにしておかないと忘れ去って片付けなくなる。」
と全く聞く耳なし。
若い彼女が
「これだけの量を1つ1つ中身を確認してコツコツ片付けるのは大変な作業量。
作業方法のコペルニクス的転回が必要なのでは?
でないと、絶対終わりませんよ。
今使っているものだけ1LDKに置いて、使っていないものを1部屋に移動。
必要なものが出てきたら1LDKに戻し、半年後に廃棄とかは?」
と言っても、
「1年経って必要だと気が付くかもしれない。コツコツ整理する。」
と頑として受け入れない。
う~ん、家の主は目的を見失っている気がする。
なんのため片づけをするのか?
心地よく暮らすためではないのかしら?
手段である片づけが目的化しているような...
「後で必要と分かるのが心配なら、気が済むまで保存しておけばいいのでは?
どうせ部屋が余っているんだし」
と、私が若い彼女の肩を持つと、家の主は猛反発。
「片付けには、人それぞれにあった方法がある。
私の場合、片付けるべきものが見えていないと駄目」
今片付いていないんだから、その方法が有効でないのは明らかなんだけど
でも私は「今何を言っても無駄」と言うのをやめてしまった。
が、若い彼女は家の主が気分を害さない程度に粘る、粘る。
彼女は立派なシステムエンジニアになっているんだろうなぁ。
顧客が本筋から外れた所に話を持って行っても本当の目的を見失わず、
どんなに顧客が自分の考えに固執しても丁寧に対応して状況を改善しようとする。
当然のことながら、納期とコスト意識もあるし。
仕事ぶりが想像できるわ。
成長したなぁ、彼女。
一方で、家の主。
思い込んだらブルドーザー並みの馬力で困難な状況を打破するという長所が、
ここでは人の意見を聞かないというよくない傾向に加担している。
長所はちょっと間違えると短所にもなりうる。
しかし、昔はこれほど頑固ではなかったような。
どうして人の話に耳を傾ける柔軟性がなくなってしまったんだろう?
歳のせいか、環境のせいか
「人それぞれの方法」は大切にすべき。
けれどそれは、どんな時でもいつまでも絶対という訳じゃない。
常にそれが今このケースで有効か俯瞰的にチェックする謙虚さがないと。
自分に自信を持つことと謙虚さを持つことは両立できるはず。
家の主にタイプが近い私は、少し冷や汗をかきながら思いました。
私もこんな感じで他人の言うことを聞いていないのかなぁ。
欠けているもの [ 理想のわたし・ダメなわたし]
昨日、同年代の友達と話していたときのことです。
「この前、必要な書類を鞄に入れ忘れ、駅近くで気がついたの。
最近の私、最後の詰めが甘いと言うか、肝心のところが欠落する事が多いんだよね。
画竜点睛を欠く感じ?」と私がこぼしたら、友達は大笑い。
何?何?私、変な事言った?
ひとしきり笑った友達は「点睛の意味分かっている?」と聞く。
「瞳を描くことでしょ。つまり最後に残った大事な事の例えだったはず」と答えると、
「最近のゆうが描き忘れるのは瞳だけじゃないでしょ。」
え、そうなの?
最近の私は、全くお話にならないレベルだって事?
なんか凹むなぁ。
自分では全く自覚なかった分、余計凹む。
しかし、「女性らしくない」と言われるより、「仕事ができない」って言われるほうがずっと凹むのはなぜだろう?
レースのハンカチ [ 理想のわたし・ダメなわたし]
布小物を春夏用から秋冬用に入れ替えていたら、出て来たのがレースのハンカチ2枚。
レースのハンカチを持っていたら「上品な大人の女性」になれる気がして、8年位前に買いました。
でも、やはり実用的じゃないです。
麻の部分が小さいので、濡れた手を拭いたらびちょびちょ。
「こんなの持っていますよ~」という見せつけ用か自己満足用にしかなりません。
しかも小さいので、見せつける方法も限られている。
スカートの膝の上に置いても、小さい上にレースの合間がスカスカだし。
私はパーティなどの煌びやかな世界とは無縁だし。
眺めて多少自己満足はできても、ほんの一瞬。
結局、私は勘違いしていたんですね。
レースのハンカチを持っていたら「上品な大人の女性」になれる訳ではない。
上品さとは中から匂い立つもので、外から飾りつけるものではないでしょう。
それに、時代に沿った上品さとか、人それぞれの上品さというのもある気がする。
自分の生活スタイルに合わないものは、結局は使いこなせない。
自分に合ったアイテムを大切に使いこなしていくうち洗練されて、それが極められれば「上品」と言われるのかな。
安直にありがちなアイテムに頼った時点で、既に駄目ですよね。
「私らしい上品」、どこにあるのかな?